墨池の角で殴る

日記です。

元気100倍! アソパンマン! は憂鬱で力が出ません

みなさん、元気ですか!(アントニオ猪木風)

 

僕は元気じゃありません。

布団から出る気力が湧かなくて部屋の時計を見つめていたら、1時間が過ぎていました。

「時間なんて止まればいいのに」

世の中の男子が一度は妄想したであろう願望を呟くと、それを聞いた姉がゴミを見るような目で僕を見てきました。(僕はMじゃないので気持ちよくはありませんでした)

 

深夜徘徊と未練タラタラ男

 

中学の卒業式があった日の夜、そのまま眠る気にもなれなくて、僕は散歩に行くことにしました。

時間は深夜2時、田舎のこの町に人通りは全くなく、時折思い出したように車が通り過ぎていくだけ。

僕は歩きながら、これまでの9年間を思い出しました。

転校していった友達が住んでいた家、塾へ行くために自転車で毎日通った道、よく友達とアイスを買ったコンビニ、初恋の女の子と遊んだ公園。

僕の小学校と中学校は田舎の公立校だったので、中学受験をしなかった人は、ほとんどが同じ中学に進学してきました。なので、同じ中学の人とは、出会ってからだいたい9年も経っているわけです。

もうその記憶の中の誰にも会えないのかもしれないと考えると、なんだか泣きそうになりました。

いつか死ぬときに、僕のことを覚えていてくれる人はいるのでしょうか。

僕は、人に忘れられるのが怖いです。人を忘れていくのが怖いです。

忘れていることにも気づかないで生きていくのが怖いです。

忘れても、今が幸せならいいと思うようになるのが怖い。

今の自分が消えて、違う自分に変わっていくのが怖い。

怖くてしょうがない。

僕はこの先、どうやって生きていけばいいのでしょう。不安で死にそうです。

 

さて、あてもなく歩いているうちに、昔通っていた小学校の近くの橋まで来ていました。

僕が小学生だった頃に橋の下に住んでいたホームレスの人は最近見なくなりました。

今どこで何をしているのか、生きているのか死んでいるのかすら分かりません。

それでも生きているなら、幸せだといいなと思いました。

それから僕は橋を渡り、田畑を抜けて、大通りに出ました。

道の先には飲食店が並んでおり、歩いている人こそいないものの、車がよく通りました。

僕は少し不安になりました。

もし人とすれ違ったら、深夜に未成年が一人で歩いていると警察に通報されてしまうのではないか、と。

それでも一度くらいなら経験として補導されてみるのも悪くないかな、なんて考えていると、1つ、疑問が浮かびました。

僕は今、何者なんだろう。

僕は今日、中学生ではなくなったわけだけど、高校生にはなっていない。かといって進学先の高校は決まっているので、ニートというわけでもない。

もし警察官に「きみー中学生?」と聞かれたら違うと答えるし、高校生やニートかと聞かれても違うと答えるので、名乗れる肩書きがない。

しいて言うなら自殺願望のある15歳男なのだが、それを言うと深夜に徘徊しているという状況も相まってダブル役満、即精神病棟送りでしょう。

小児病棟に入院した時でさえ地獄のような日々だったのに、精神病棟なんかにいったら僕、自殺しちゃいますよ!

ということで、引き返して家に帰ることにしました。

 

それからしばらく歩いて、僕は家から持ってきた音楽プレイヤーの存在を思い出しました。

家を出る前に、卒業記念品としてもらったcdの音声ファイルをmicroSDカードにコピーして来たのです。

イヤホンを耳に挿して再生ボタンを押すと、合唱曲の「群青」が流れ始めました。

それは、僕のクラスメイトが合唱祭で歌った時の音声でした。

僕はピアノの音を聞いて、少し悲しくなりました。

人が最初に忘れる五感の記憶は、「声」だといいます。

僕は7年前まで両想いだった女の子に未練タラタラで、ストーカーになる度胸も無いのでせめて忘れずにいようと思っているのですが、(自分でもかなり気持ち悪いと思ってる)声はもう思い出せないし、聞くことも出来ない。

この歌声の中に、彼女の声はないのです。

その理由は単純明快で、彼女はピアノの奏者だからです。

誰よりも綺麗で存在感のある音を出しているのに、声は聞こえない。

どっちの方が良かったのでしょう。

歌声の中に彼女の歌声が埋もれて区別はつかないけど彼女の声は聞こえるのと、声は聞こえないけれど彼女のピアノの音は聞こえる。

それを考えるとピアノを弾いてくれて良かったのかもなんて思いますが、やっぱり声を忘れるのは寂しい。

そんなことを考えながら歩いていると、空が明るくなり始めていました。

今日が終わって、朝が来る。

明日もその繰り返しで、人は新しいことを覚える代わりに、何かを忘れて生きていく。

やっぱり僕はまだ、生きることに前向きにはなれない。

明日も明後日も死にたくなって、いつか本当に死ぬ時が来る。

その時に、まだ生きたいと思える人生になるのだろうか。そんなことを思いました。